世界平和を訴えるNGOとかNPOが組織内部で意味の無い不穏な争いを続けていたり、生活困窮者の自立支援をする団体が、団体内部の檻の中に生活困窮者を入れて見世物にするかのうように、生活困窮者の現状を社会に訴えたりする団体の矛盾をみると、争うことが嫌いな僕でもちょっぴり憤ってしまう。
珍しく今日はとあるところで、怒ってきてしまったのですが、人を大切にする会社を推進している企画なので、一年間中身がどうあれ参加したのですが、最後のアンケートが、自分の会社の社員の問題を問題視して、
例えば、場の空気の読めない社員がいて、とても困る・困る・困らない。
時間を守らない社員がいて、とても困る・困る・困らない
コミュニケーションの難しい社員がいて とても困る・困る・困らない
みたいなアンケートが十数項目続いていて、最初は少し考えてみたのですけど、僕の会社には、空気の読めない社員もいるし、時間を守らない社員もたくさんいるけども、その社員を困る度合いで考えたことがなく、そもそも、自分もそうかもしれないし、僕の会社の社員達が、一定の基準では、問題のある社員みたいに言われてるみたいで腹が立ってきて、「このアンケートそのものが人を大切にしてないものの考え方じゃないですか!!」と久しぶりに怒ってきてしまいました。
結局、経済的合理性の基準のもと、できる人ができない人を支配し、調和することに課題がある人と同じ場所に立ってないからそうなるわけで、
例えば、できる範囲もあるけども、路上生活者のこと考えるなら、路上で一度一緒に座って社会をみてみたり、依存症の人のことを支援するなら、自分も何かに依存してボロボロになってみたり、
全部ためすわけにはいかないから、自分の生活の経験にてらし実践に創造力を最大限に働かせ、課題や経験を分かち会いながら、一緒に生きていくのが、ちょっぴり人を大切に考えるってことだと思うのです。
そんなこんなで、今日も夕食2回たべちゃいました。
夜食のカラムーチョと赤いコカコーラも止まりません。
スマホのゲームもやりすぎて朝起きれません。
でも、しばらくしてボロボロになればやめます。
駄目なら白旗あげて、だれかに助けてもらいます。
そしてだれかを支えます。
わりとのんびり生きていると思ってましたが、情熱的なところもあるんだなぁ〜と自分のことを意外に感じた一日でした。
ズボラニアン坂根