2回目のブログリレーのバトンが回ってまいりました。どうもH.Tです。
先日せふぃろとで職員さんから『精神』という映画のDVDを借りました。
この映画は「想田和弘監督作品 観察映画 第2弾」と銘打たれています。
いわば「観察映画」とはドキュメンタリー映画と同じなのですが、本作を撮った想田監督はノンフィクションの世界でも用いられる台本や意図的な感情の誘導を嫌い、音楽やナレーションや字幕などの演出は完全に廃して、なるべく無計画な状態でカメラの前に起きた現実そのままを収めた映像素材を繋ぎ合わせるという、編集の力だけで映画を制作するスタイルをとっています。よって作り手にも観る側にも ‟ 観察 ” という行為を強いられるという意味で、敢えて「観察映画」と呼んでいるのです。
第1弾は「選挙」… 市議会議員選に大学の友人が立候補する様子を観察した映画でした。
最新作は第6弾の「牡蠣工場」… 監督の奥さんの地元にある牡蠣工場を観察した映画でした。
両方とも劇場で観たのですが、観察映画だからこそ浮き彫りになるメッセージを感じ取るという鑑賞後の余韻が好きでハマっています。
そして自分が未鑑賞だった観察映画「精神」のDVDが(福祉事業所だからなのか)最近せふぃろとに存在すると知り、思わず借りてしまい「選挙」と「牡蠣工場」に同じく観察映画ならではの余韻に浸ってしまったのです。
想田監督が ‟ 選挙 ” の次にターゲットを定めたのは ‟ 精神病 ” でした。
劇中で監督が仰ってますが「偏見というカーテンの向こう側にある精神病という世界のカーテンを開いていきたい」という思いから、岡山にある精神科の診療所に赴き、患者さんや医師やスタッフの方々とカメラを通じて触れ合った数日間をモザイクなしで綴っています。
まず映画の冒頭は「死にたい」と涙ながらに主治医さんに訴える女性の映像から始まります。
多分この女性の姿が健常者の人が思い描く精神病患者の典型例なのでしょう。
その健常者視点の偏見的な導入から始まり、映画の中で想田監督は様々な患者さんと関わり、精神病を更に深く切り込んでいきます。
幻聴に悩まされる子持ちの母親の患者さんが赤裸々にエピソードを語り、大量に服用する薬を紹介する女性は娘の手紙を宝物だと語り、勉強のし過ぎでダウンしたという男性はマザーテレサの言葉を引用して語り、病を抱えた何人もの患者さんとのやり取りが映し出される内に次第と観る側は親近感を覚えて、自然と偏見のカーテンは取り払われていきます。
それは時折カットインされる散歩中のお年寄りや路上で戯れる高校生の映像を見て、この人たちと患者さんの違いって何?と疑問が浮かぶほどです。
それにしても登場する患者さんは自身に関する色々なことを隅から隅まで凄く覚えています。例えば、子供が入院した夜に食べた弁当のおかずが何だったかまで、鮮明に詳細に体験談を話します。それだけ自分の病と向き合っている証なのだと感じました。
あくまでも観察映画として ‟ 病気 ” ではなく ‟ 人間 ” を映し出しているので、時には目を潤ませたり、時には笑いが漏れたり、観る側の表情が変わるほど、その患者さんの人柄に対して感情移入してしまいます。
理解できない、理解されない、と一般的に片づけられてしまいがちな精神病ですが、彼らなりに患うに至った何らかの理由が必ずあること、彼らなりに苦しみながらも生きようと日々を過ごしていること、を本作は教えてくれます。
本編に登場する患者さんは訴えます。
「健常者であれ、障害者であれ、欠点の無い人間などいない」
今は症状が安定してせふぃろとの利用者として仕事をしている自分も同じ病を持つ当事者として、過去に観た観察映画2作品よりも身につまされる思いでした。様々なことを考えながら、じっくりと真面目に真摯な2時間を映画と共に過ごして、容易に結論は与えてくれませんでしたが、鑑賞後は深く心に響いた何かを残していきました。
精神病を知る上で価値のある映画です。
興味を持った方は是非とも一度ご覧を。