せふぃろと利用者のM.Nです。
さて2回目のブログですが、日常の生活については書くことがなく、どうしたものかと悩んだ結果、興味のある歴史についての内容をうろ覚えのままに書いてみようかと思います。
さて、中国の歴史の中には友人関係を示す言葉がいくつかあります。
水魚の交わり、断金の交わり、刎頸の交わり、管鮑の交わり等。
今回は管鮑の交わりについて、簡単ですが書いてみたいと思います。
管鮑の交わり
「管鮑の交わり」とは古代中国の春秋戦国期の斉という国での話で「管」とは管仲(かんちゅう)という人物を指し、「鮑」とは鮑叔(ほうしゅく)という人物を指します。管仲は斉の国王であった桓公(かんこう)を春秋戦国の覇者に押し上げた名宰相ともされる人物です。一方、鮑叔は管仲の部下の一人でした。
もともとは鮑叔が斉の国の貴族の出で、管仲は他国の者でした。若い頃より、ともに勉学に励み、商売をしたりしていました。その後、両名とも別々に王族の子供の教育係となり、様々な事件の結果、鮑叔の教育した王子が次期国王となります。これが後の桓公です。この時、管仲は自分の教育した王子を国王にするため、桓公を殺害しようとしますが、これに失敗。桓公から憎まれ、処刑されそうになります。
これを制止したのが鮑叔で、本来自分が宰相として国の第2の地位につくはずでしたが、自分よりも管仲の方がすぐれているとして、管仲を次期宰相に推挙。自分は管仲の一人の部下として、働くこととします。
管仲はその期待に応え、国力を増強し、桓公を覇者へと押し上げることとなります。
管仲は晩年、鮑叔について、
「若い頃、ともに商売をしたが、私は多く分け前をとった。しかし、鮑叔は私をよくばりだとは言わなかった。私が貧しかったことを知っていたからだ。鮑叔の名を有名にしようとし、逆に窮地に追いやった事があったが、私を愚か者呼ばわりはしなかった。物事は上手くいくときといかないときがあるのをしっていたからだ。また、私が戦争から毎回逃げ帰ってきたとき、私を臆病とは言わなかった。私が故郷に老いた母を残していることを知っていたからだ。私が何度も仕える主を変えたことがあったが、鮑叔は私を無能だとは言わなかった。私に時がめぐっていないことを理解してくれていたからだ。
私をこの世に産んでくれたのは父母だが、私を一番に理解してくれたのは鮑叔である。」
との言葉を残しています。
鮑叔は立場を超えた、管仲にとっての親友・理解者だったのでしょう。
ふと考えてみたときに、管仲のように他者の期待に応えようとしたり、鮑叔のように他者を理解し、引き立てようとしたりはなかなかできるものでは無いのかなと思います。
これをお読みの方。あなたは誰かにとっての鮑叔足りえるでしょうか。
あなたには鮑叔のような理解者はいるでしょうか。
このような関係を築くのは困難でしょうが、少し意識して生活してみて、周りの人のことを考えてみることも大切かもしれません。
晩年の逸話
最後に、管仲と鮑叔についての逸話です。
管仲が晩年、病に倒れた時に、桓公より管仲亡き後はだれを頼みとすべきかと質問を受けます。この時、鮑叔の名前も出るのですが、管仲は「鮑叔は才能に乏しく、頼りになる人間ではない」というような回答をしています。そのため、鮑叔とその一族は権力からは遠ざけられます。
親友に対して、ひどい評価です。鮑叔への感謝はどこへ行ったのでしょう。
しかし、管仲と桓公が亡くなったのち、桓公の後継者をめぐり、争いがおこり、権力の中枢近くにいた家臣たちを巻き込む程の大きなものとして、関係者が次々に亡くなります。この時、鮑叔とのその一族は権力からは遠ざかっていたため、影響を受けず、一族を残すことに成功したようです。
もしかすると管仲はこの後継者争いのことまで、予見してわざと鮑叔を貶め、権力から遠ざけることで守ったのかもしれませんね。
二人の関係からそういうことを想像してみるのも楽しいことです。
以上。
うろ覚えですが、管鮑の交わりについてでした。