スタッフのブログバトンを持ったまま凍り付いてました。モリエッティです。
4月ごろからの毎日のコロナ騒ぎ&自粛ムードの中、仕事以外ではほとんど動かなくなってしまっていたので体力が落ちているのを実感しています。
休みの日に少し出かけようものなら次の日まで疲れが取れず身体が重かったです。
1人でウォーキングでもしていたら違ったのでしょうか。。でも目的がないと動けないタイプなので、コロナのせいで動く目的が奪われているということが結構生活に影響してしまったのかなと感じています。
動かない生活が2か月も続くとそれが「日常」になってしまって、いざ緊急事態宣言が解除されて出かけてもいいよと言われてもなんかやる気が起きない、みたいな感覚がありました。
今までの日常が奪われた状態が新たな「日常」となり、出かけられていた以前の自分は非日常、みたいな。(ややこしいけど)
なので心身共に、以前の日常を取り戻すのに少し時間が要りました。
私だけでなく様々な人がコロナウイルスによってその日常を否が応にも変容させられた、と言っていいのかなと思います。
通常通り仕事していた私でもこんな感覚になったということは。。
コロナ関連の記事は色々ありますが、コロナショックの中で起きた時間感覚の変容について、書いてくれている方がいます。
精神科医の「斎藤 環」氏です。少し長いですが興味のある方は読んでみてください。
“感染”した時間
https://note.com/tamakisaito/n/n4f33ed806037
コロナはある意味、今まで意識せずに普通にできていたことが出来なくなったという初めての状況なのでそれによって、今まで意識せずにいたことがどれだけ大事なことだったのか、ということに気づけるチャンスでもあったのかなと思います。
ちなみにコロナ禍中での事業所の様子はというと、
WEB制作やデザインの仕事がメインのせふぃろと分室は、テレワークの導入を行いました。
一方せふぃろと本館は「放置自転車啓発業務」など、野外でのお仕事が多いので、テレワークとはほぼ無縁、、3密対策をしながら開所していたのですが、一部のお仕事が1か月ほど休止になりました。
そのお仕事をしているメンバーが、このまま休む状況が続くとどうなるか。
業務が再開したときに体力の低下や出勤のリズムが狂ってしまうだろうと思い、西区周辺でのごみ拾いや公園の遊具の消毒等をお仕事としてもらうことで、少しでも「日常」との変化がないようにしました。
その結果、業務再開後も体調を崩されることなく毎日元気に出勤されています!
不要不急の外出、とは一体どこまでを指していたのでしょうか。他人から見たら不要不急だと思われることでもその人にとっては大切な目的があるということを想像できる社会であってほしいなと思います。