どうも、8回目のブログリレーのバトンが回ってきた映画好きのH.Tです。
コロナ禍の影響で休館の日々が続いていた映画館も(座席を空けるなど工夫を凝らしながらですが)営業が再開して、ようやくの自粛明けを喜ばんとばかりに自分は既に劇場で3本の映画を観てきました。
決して意識したわけではないのですが、何故かしら立て続けに観た作品は3本とも全てドキュメンタリー映画でした。
コロナ明けに観た映画に〝ドキュメンタリー〟という共通点がある偶然に必然性を感じたこともあり、ちょうどブログリレーの順番が回ってきた良い機会として、その3本を一挙にまとめて感想を交えながら映画を紹介していきたいと思います。
娘は戦場で生まれた(2019)
稀に見る衝撃作でした。
未だ戦争が終わらないシリアにて医者との間に子供を授かった映画作家の母が、この地で産まれて育っていく娘の未来へ向けたビデオメッセージとして、戦時中の惨状を記録するべくカメラを手にした4年間の一部始終が克明に刻まれています。
不意な爆撃で奪われる幸せな新婚生活と破壊されゆく街並み、道路に掘られた穴に埋葬される虐殺された無数の遺体、職場である病院に流れる血溜まりや搬送される犠牲者、あまりにショッキングな映像の連続に戦慄を覚える反面、娘サマちゃんの成長記録でもあるので時折スクリーンに映し出される天使のような笑顔に癒されもしますが、ふとサマちゃんの命もいつ奪われてもおかしくない状況下に置かれていると思い出して、やるせなさと憤りで幾度となく落胆の溜め息を吐いてしまいました。
「死」は悲劇として、「生」は希望として、全てを包み隠さずに徹底して戦場のありのままの状況が本編には映し出されています。
本作を観る者には、戦地より届けられた凄まじすぎる発信から決して目を背けず、ジャーナリストとして母親として命懸けで撮り続けられた渾身の映像の数々に打ち負かされるかもしれない覚悟が強いられます。
かなりのカロリーを消費する100分間ですが、本編で息子を亡くして「この光景を残さず撮って!」と絶叫する母親の思いを真正面で受け止めるべく、いま実際に起こっている現実を知る意味でも観ておくべき映画だと思います。
ちなみにサマという名前は「空」を意味しており、平和への願いを込めて名付けられました。
一刻も早く醜い争いなど無くなり、戦闘機が飛び交って爆弾が落ちてくるような空ではなく、見上げれば雲が浮かび太陽が照るような当たり前の空に戻ることを切に願うばかりです。
精神0(2020)
以前にこちらで「精神」というドキュメンタリー映画を紹介した ブログ記事 を書いたことがありましたが、本作『精神0』はその続編となります。
前作は〝精神病からモザイクを取り外す〟をモットーに、心を病んだ患者さんをメインに撮られた映画でしたが、今作ではその患者さんを診ていた医者側、高齢のため精神科医を引退する決断をした山本昌知医師にスポットが当たります。
引退を知った患者さんが「引き継ぎの先生の診察は山本先生と違って流れ作業的だ」と、これから先に感じる不安を吐露します。山本先生は聞き役に徹した後に「ゼロに身を置く日を作ってみては」と提案します。
この〝ゼロに身を置く〟とは、己の「○○したい」という欲望を捨ててみれば、思い通りにならないストレスは消えて、些細な日常にも感謝が生まれる。なるようにならない理不尽さも受け入れてみなさいという考え方です。
診療所を離れたカメラは、認知症の奥様と暮らす山本先生のプライベートに踏み入ります。
今までとは違う役割が支える側に回っての暮らし。家事も上手にこなせない山本先生が息を切らしながら行う苦労が絶えない生活でも愚痴を一つも漏らさない姿には、本人自らが体現する〝ゼロに身を置く〟という精神が垣間見えます。
続編にも関わらず、本作のタイトルが「2」ではなく「0」な理由はそこにあるのでしょう。
お菓子で客人をもてなす場面も、出前のお寿司を食べる場面も、お墓参りに出掛ける場面も、撮影者である監督が一切の手助けをしないからこそ、奥様を気遣う山本先生の優しさが自ずと際立ってきます。
老いても添い遂げるという覚悟を象徴するかのような二人が手を繋ぐカットに、理想的な夫婦像の答えを教えてもらえた気がする素敵な純愛映画でした。
ホドロフスキーのサイコマジック(2019)
この映画の主軸となるアレハンドロ・ホドロフスキーという人物は、過去に「エル・トポ」や「ホーリーマウンテン」などの奇作を世に産み出してきた伝説的カルト映画の鬼才として名高いアーティストです。そんな彼はアートによって悩める人を癒す『サイコマジック』と名付けた心理療法を考案しました。本作は、そのサイコマジックを施術される人達を長期に渡って撮影して、様々な症例と共に治癒する様子を紹介していくドキュメンタリーです。
サイコマジックとは例えば、強い自殺願望を持つ男性には「一度死んだ気になれ」と言わんばかりに、その男性を土に埋めた上に生肉をばら撒いて鳥に啄ばませる〝疑似鳥葬〟の状況を本人自身が眺める体験をして、快方へ向かわせるといった理に適った?施術法です。
闇が怖ければ、全身を黒い靴墨で塗りたくる。気に食わない人間へは、当事者の顔写真を貼ったカボチャをハンマーで叩き潰す。といった行為でアーティスティックなアプローチから無意識へ衝動的に働きかけて、人間関係やトラウマなどを解決させます。
本編も終盤になると個で向き合うセラピーからスケールアップして、会場に集まった大勢の観客全員がステージ中央の癌に侵された女性を治すために両手を伸ばしてエネルギーを送るといった具合に、俄然あやしい宗教っぽくなるのですが、実際に癌の女性は余命宣告も物ともせずサイコマジックから十年を経てもインタビューに答えて元気な様子を見せていました。
観る人によっては胡散臭さも感じるでしょうが、幾つものビフォーアフターのエピソードを見せられるとサイコマジックに対して信憑性を持ってしまうと同時に、相談者の人生をポジティブに変えてしまうバイタリティーと懐の深さを兼ね備えた御年91歳のホドロフスキーという人物ならではだからこそ起こせる奇跡なのではないかと考えてしまうのです。
映画館から出ると、何故かしら劇中のサイコマジックを受けた人々に同じく、自分も自己肯定感に満ち溢れてストレスから解放された気分になっていました。
サイコマジック並びにアレハンドロ・ホドロフスキー、恐るべしです。
といった具合に、最近は以上の3本を観たわけですが、これから先に観る予定の映画にも一定数のドキュメンタリー映画が含まれています。
数ヶ月前からコロナによって普段通りとは異なる生活を強いられているので、日常自体が非現実的なものになった現状ではフィクションのような人間の手で作られたものより、嘘のないリアルな映像から生まれる刺激を求めるので自然とドキュメンタリーに触手が伸びてしまうのかもしれません。
とはいえ、公開延期になっていた映画の上映日が続々と決まっていくので、来月にかけては観たい映画が大渋滞を起こしているラッシュ状態で、自分は嬉しい悲鳴を上げています。
1日に2本をハシゴするなんて週末もザラにあるでしょう。本数が多いからといって観る行為がノルマを消化する流れ作業にならないよう1本1本を大切に鑑賞していきたい所存です。